・たくさん知っていても、まだ学べると思える心が大切
・本当に賢い人ほど、自分の足りなさを知っている
・学びは終わるものではなく、広がっていく旅のようなもの
むかしむかし、本が大好きな少年がいました。名前はダビド。町の学びの家に通う子どもの中でも、ダビドは特によく本を読みました。朝の勉強が終わっても図書棚の前に残り、家へ帰ってからも灯りの下で本を開きます。
その熱心さは立派でしたが、少し困ったこともありました。ダビドはだんだん、「自分はもうかなり知っている」と思うようになっていたのです。
ある日、新しく入った年下の子が、読み方をまちがえました。ダビドはすぐに言いました。
「そこ、ちがうよ。そんなのも分からないの?」
言われた子はしゅんとしてしまいました。先生はその場では何も言いませんでしたが、授業のあとでダビドを散歩に連れ出しました。
二人は町はずれの丘へ上りました。そこからは、町の家々も、川も、遠い畑もよく見えます。ダビドは少し得意そうに言いました。
「先生、あのあたりの道も、この町の人の名前も、ぼくはかなり知っています」
先生はやさしくたずねました。
「では、この丘の向こうに、何が見えるかな」
ダビドは目をこらしましたが、遠くの山のかげで先は見えません。
「分かりません」
先生はうなずきました。
「町を知っていても、町の外はまだ見えていない。丘の上に立っても、山の向こうまでは見えない。それでも『ぜんぶ分かった』と言えるかな」
ダビドは少し黙りました。
先生は続けました。
「本も同じです。一冊読めば、その先に別の一冊がある。一つのことを理解すると、まだ知らない広い景色が見えてくる。だから、本当に学ぶ人は、前よりむしろ『まだ半分も読んでいない』と思うようになるのです」
その言葉を聞いたダビドは、自分の胸の中が少し熱くなりました。たしかに、自分は知っていることが増えるほど、知らないことに出会ってきたのです。それなのに、いつのまにか、年下の子を見下すような気持ちになっていました。
次の日、先生は教室に大きな巻物を持ってきました。端から端まで広げても、まだ机からはみ出るほど長い巻物です。
「これを一人で全部持ち上げられる人はいますか」
だれもいませんでした。ダビドも無理です。
「では、二人ならどうでしょう」
今度は持ち上がりました。
先生は言いました。
「学びもこれと似ています。自分一人で全部分かると思うと、持ち上がらないことがあります。でも、友だちの考え、年下の素直な質問、先生の経験が合わさると、見えなかったところまで持ち上がるのです」
その日、ダビドは前の日に言いすぎた年下の子のところへ行きました。
「きのう、ごめん。ぼく、知ってることを見せたくなってた。いっしょに読もう」
年下の子は最初こそ驚きましたが、すぐにうれしそうにうなずきました。
すると今度は、その子が思いがけない質問をしました。
「この言葉、どうしてここで二回くり返してあるの?」
ダビドは答えられませんでした。けれど、その質問がとてもよいことは分かりました。二人で先生のところへ行き、三人で考えると、文章の意味が前より深く見えてきました。
その帰り道、ダビドは笑って言いました。
「先生、ぼく、まだ半分も読んでいなかったみたいです」
先生はうれしそうに答えました。
「そう思えたなら、学びの入口にもう一度立てたということですよ」
たくさん知ることはすばらしいことです。でも、それ以上に大切なのは、まだ学べると思える心です。知らないことを恥ずかしがるのではなく、そこからまた一歩進める人が、ほんとうに長く成長していけるのです。
その言葉は、ダビドの心に長く残りました。前までは、本をたくさん読んだ日は「また一つ終わった」と思っていました。でもその日からは、「ここから先に何があるのだろう」と思うようになりました。知らないことが怖いものではなく、次に出会う景色のように感じられたのです。
教室でも、ダビドの聞き方が変わりました。以前は、先生が問いを出すと真っ先に手を挙げて答えようとしていました。けれど今は、ほかの子の意見にも耳をすませます。すると、自分では考えつかなかった見方がいくつもあることに気づきました。
ある日、年下の子がまた質問しました。
「この人は、どうしてここで急に黙ったの?」
その一言で、ダビドは文章の中の『言われていない気持ち』に初めて目を向けました。知っている文字を読むだけでは、まだ見えていなかった世界です。
先生はみんなに言いました。
「学びは、物を集めるのとは少し違います。物は増えると終わりに近づきますが、学びは増えるほど入口が増えます」
子どもたちはその言葉を聞いて、「分からないことがあるのは悪いことじゃないんだ」と少し安心しました。
それからダビドは、読み終えた本の端に小さな紙切れをはさむようになりました。「まだ気になるところ」と書いた紙です。前なら本を閉じたらそれで終わりでしたが、今は「あとで先生に聞くこと」「友だちにたずねたいこと」を残しておくのが楽しみになりました。
ある雨の日、年下の子がダビドのその紙切れを見つけて言いました。
「もう読めるのに、まだ聞きたいことがあるの?」
ダビドは照れくさそうに笑いました。
「読めるのと、分かるのは少しちがうみたいだ」
その答えを聞いて、年下の子もうれしそうにうなずきました。質問していいのだと、安心したからです。
その日の終わり、先生は机の上に何冊もの本を重ねて言いました。
「いちばん上の一冊だけ見て、全部知った気になることはできます。でも、ページをめくるたびに次の本が見えてくるのが学びです」
ダビドは、その言葉を聞きながら、自分の前にまだ開いていない扉がたくさん並んでいるような気がしました。こわい扉ではなく、開けてみたい扉でした。
本当に賢い人は、きっと『まだ足りない』と知っている人です。だからこそ耳を閉じず、年下の子の声にも、友だちの疑問にも、自分の知らなさにも、ちゃんと向き合うことができるのです。
その夜、ダビドは家の机に向かいながら、いつもなら閉じてしまう本をもう一度開きました。分からないところがあることが、前より少しうれしく感じられたからです。
1) ダビドは、どうして前より深く学べるようになったのかな?
2) 「まだ分からない」と思えることは、どうして大切なんだろう?
3) 最近あなたが「もっと知りたい」と思ったことは何?
この物語は、学びに終わりはないというユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
謙虚な学びの姿勢を伝える、ユダヤの知恵の教えより



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