こぼれた豆をどうする? 〜市場の朝の小さな裁判〜

こぼれた豆をどうする? 〜市場の朝の小さな裁判〜 知恵と機転
こぼれた豆をどうする? 〜市場の朝の小さな裁判〜
【今日のお話のポイント】
・正しさは、ただ責めることではなく、困りごとをほどくことでもある
・だれが悪いかだけでなく、どう直すかを考える知恵が大切
・みんなが少しずつ歩み寄ると、争いは小さくできる

むかしむかし、朝になると豆や麦の香りがただよう市場がありました。ある日、乾いた豆を山のように積んで売っていた店の前で、ちょっとしたさわぎが起こりました。

豆屋のおじさんが、大声で叫んでいたのです。

「だれだ! うちの豆をこんなにこぼしたのは!」

見ると、店の前の石畳に、茶色い豆がころころと広がっています。そのそばには、水運びの少年と、パンを運ぶ娘が立っていました。二人とも「自分じゃない」と言い張っています。

水運びの少年は言いました。

「ぼくが来たときには、もうこぼれていました」

パン屋の娘は言いました。

「私は荷物を守るので精いっぱいで、豆には触っていません」

まわりの人たちも口々に言いました。

「きっと走ったほうが悪い」
「いや、店の置き方が悪かったんだ」
「弁償させればいい」

すると市場の見回りをしていた年長のラビがやってきました。ラビはすぐに「だれが悪い」とは言わず、まずその場の様子をよく見ました。豆の袋の口、石畳の傾き、通りの広さ、朝の混み具合。ひとつずつ静かに確かめます。

やがてラビは言いました。

「豆の袋の口がゆるんでいたようですね。そして、ここは人が曲がる場所で、少し押されただけでも崩れやすい」

豆屋のおじさんはむっとしました。

「じゃあ、わしのせいだと言うのですか」

ラビは首を横に振りました。

「だれか一人のせいにして終わる話ではなさそうです。袋の口がゆるかったこと、人通りが多かったこと、急いで通ったこと。いくつかが重なって起きたのでしょう」

みんなは少し意外そうでした。悪い人を一人決めるほうが、話は早いと思っていたからです。

けれどラビは続けました。

「さあ、いま必要なのは、怒りを広げることではなく、豆をどうするかです」

そう言ってラビは、きれいな布を広げ、こぼれた豆を拾い集めるよう提案しました。石畳のすきまに落ちた豆は、食べ物にはできませんが、にわとりのえさにはなります。まだきれいな豆は、選り分ければ使えます。

水運びの少年も、パン屋の娘も、最初は戸惑っていましたが、やがて一緒に拾い始めました。見ていた人たちも手伝い始めます。

豆屋のおじさんは、しばらく不機嫌そうでしたが、だんだん顔つきが変わってきました。怒鳴っているだけのときより、豆がちゃんと集まっていくからです。

すべて集め終わると、ラビは言いました。

「次からは袋の口を二重に結びましょう。そしてこの曲がり角には、朝の間だけ小さな仕切りを置きましょう。通る人も、少しだけ歩みをゆるめてください」

パン屋の娘が言いました。

「私も急いでいたのはたしかです」

水運びの少年も言いました。

「ぼくも、もう少し周りを見て通るべきでした」

豆屋のおじさんは、大きく息をついてから頭をかきました。

「わしも、店の出し方を見直すよ。怒鳴ってばかりですまなかった」

ラビはうなずきました。

「正しさとは、だれか一人を恥ずかしがらせることではありません。こぼれた豆を、次はこぼれにくくする知恵へ変えることです」

市場の人たちは、その言葉を長く覚えていたそうです。なにか問題が起きたとき、前より少しだけ「で、どう直そうか」と言える人が増えたからです。

けんかは、悪い人をすぐ決めたほうが気持ちは早くすっきりするかもしれません。でも、本当に役に立つのは、困りごとをほどいて、次はどうしたらよいかを考える知恵です。こぼれた豆の朝は、市場の人たちにそのことを教えてくれました。

その変化は、豆の朝だけでは終わりませんでした。別の日には、魚屋の桶の水が通りへこぼれたとき、前なら「誰がぶつかったんだ」と怒鳴り声が先にあがっていたのに、その日は若い店主が「まず滑らないよう砂をまこう」と言いました。広場にいた人たちは、すぐ手を貸しました。

また別の日には、荷車の車輪が石にはさまって進めなくなったとき、通りの人たちは持ち主を責める前に、「石をどけよう」「次はここに印を置こう」と話し合いました。豆屋のおじさんまで、自分から木片を持ってきて印を作ったそうです。

ラビは、その様子を見て弟子に話しました。
「人は、一度うまく解きほぐすやり方を覚えると、次の問題でもそれを使えるようになります。正しさを怒りだけで覚えると怒りが増える。正しさを知恵で覚えると知恵が増えるのです」

豆屋のおじさんも、前よりずっと穏やかになりました。朝、豆袋を並べる前に袋の口を確かめ、通り道を少し広くあけるようになりました。自分が責められなかったからこそ、自分の直すところも素直に見えるようになったのです。

しばらくして市場では、小さな木札があちこちに立つようになりました。
「ここはすべりやすい」
「荷車はゆっくり」
「袋の口をたしかめよう」
最初に作ったのは、あの朝いちばん大きな声を出していた豆屋のおじさんでした。自分が怒鳴るより先にできることがあると分かったからです。

ある雨上がりの朝、少年が水たまりで足をすべらせそうになると、豆屋のおじさんはすぐに駆け寄って支えました。そして笑って言いました。
「転んでから怒るより、転ぶ前に気づいたほうがいいからな」
それを見ていたパン屋の娘は、こぼれた粉をそのままにせず、ほうきでさっと掃きました。市場には少しずつ、「困ってから責める」より「困らないように整える」やり方が広がっていったのです。

ラビはその様子にうれしそうな顔をしていました。豆を拾った朝に終わらず、その知恵が市場の習慣になり始めていたからです。こぼれた豆は片づきましたが、そのとき生まれた工夫は、ずっと市場に残ることになりました。

ある子どもは家に帰って、その日の話を家族にしました。すると父親は、「うちでも、だれかが失敗したときは先に『どう直そうか』と言ってみよう」と笑いました。市場で生まれた知恵は、家の中にも少しずつ広がっていったのです。

豆屋のおじさんは、その子の父親に会うと照れくさそうに言いました。
「豆をこぼした朝はさんざんだったが、あの日から市場は前より歩きやすくなった気がするよ」
困りごとをただ怒りで終わらせず、直し方へつなげたことが、町の空気まで少し変えはじめていました。

子どもへの問いかけ(いっしょに考えてみよう)
1) ラビは、どうして「だれのせいか」だけで終わらせなかったのかな?
2) 問題が起きたとき、「どう直す?」と考えると何が変わりそう?
3) 学校や家でも、同じように工夫できる場面はあるかな?
このお話について
この物語は、争いをおさめる知恵と実際的な正義を伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。

もとになった話
人のあやまちを責めるだけでなく、解決を考えるユダヤの知恵より

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