・すぐに答えることだけが賢さではない
・大切なことほど、一度立ち止まって考えるのが役に立つ
・落ち着いて決める人は、まわりも安心させる
むかしむかし、学びの家の先生に、町の人たちが毎日のように相談を持ちかけていました。先生はいつもやさしく話を聞きましたが、ふしぎなことに、すぐに答えるときと、少し時間をおいてから答えるときがありました。
子どもたちは、その違いが気になっていました。
ある日、弟子の一人がたずねました。
「先生、昨日の『今日の天気なら洗濯物はかわくかな』という質問にはすぐ答えたのに、今日の『友だちの悪口を聞いたとき、すぐ信じていいか』には、長く考えていました。どうしてですか」
先生は笑って言いました。
「洗濯物は、もし間違えても、もう一度干せばすみます。でも、人の心にかかわることは、一度こぼした言葉を元に戻すのがむずかしいからです」
その日の午後、ちょうど町の広場で、小さなさわぎが起きました。パン屋の少年が「果物屋の娘がずるをしていた」と言い、別の子は「いや、見間違いだ」と言います。子どもたちは面白がって、あっという間にうわさを広げ始めました。
「ほんとに?」
「じゃあ、あの子は悪い子なんだ」
「先生に言いに行こう」
そこへ先生が通りかかりました。みんなは口々に言いました。
「先生、早く決めてください。あの子が悪いんですよね?」
けれど先生は、すぐにはうなずきませんでした。パン屋の少年、果物屋の娘、その場にいた別の子ども、店の主人、それぞれの話を順番に聞きました。そして最後に、地面に落ちていた一つの木箱を拾い上げました。
木箱の底は少しこわれていて、果物が勝手に転がり落ちてしまっていたのです。娘はずるをしたのではなく、箱を押さえようとしてあわてていただけでした。
先生は静かに言いました。
「急いで答えていたら、わたしも間違えていたかもしれませんね」
子どもたちは顔を見合わせました。さっきまで悪いと決めつけていたことが、あっという間に違う姿に見えてきたからです。
先生は木箱をみんなに見せながら続けました。
「早い返事が親切なときもあります。でも、だれかを傷つけるかもしれない話では、急がないことも親切なのです」
一人の子が言いました。
「でも、すぐ答えないと、頼りないと思われませんか」
先生は首を振りました。
「分からないまま決めるほうが、もっと頼りありません。急いでいるように見えても、ほんとうは考えるのを省いているだけのことがあります」
その言葉を聞いて、果物屋の娘はほっとして目を伏せました。もし先生までうわさを信じていたら、きっと町じゅうで誤解が広がっていたでしょう。
夕方、先生は教室で水を入れた鉢を持ってきました。そして、まだ土が入ったばかりのにごった水を見せました。
「今、この水の底は見えますか」
子どもたちは「見えません」と答えました。
先生はしばらく何もせず、ただ鉢を机に置きました。すると少しずつ土が沈み、水は澄んできました。
「見えなかった底が、見えてきましたね。心も同じです。あわてているとき、腹が立っているとき、面白がっているときは、水がにごっているようなものです。そんなときに出す答えは、底を見ないままの答えになりやすいのです」
その日から、子どもたちは何かを聞いたとき、少しだけ前より立ち止まるようになりました。「ほんとうかな」「ほかの見方はないかな」と考えるようになったのです。
すぐに返事をすることは、たしかに気持ちがいいものです。でも、大事なことほど、いそがない返事が人を守ることがあります。落ち着いて考える時間は、答えを遅くするのではなく、答えを正しくするための大切な時間なのです。
その変化は、教室の中ですぐに見えるようになりました。だれかが失敗したとき、前なら「ほら、ちがった」とすぐ声が飛んだのに、今は「どうしてそう思ったの?」と聞く子が増えました。答えを急がないことは、相手をゆるすことにもつながっていたのです。
数日後、また小さなさわぎがありました。今度は、誰かの筆箱がなくなったのです。ある子がすぐに「あの子があやしい」と言いかけましたが、別の子が言いました。
「待って。前みたいに、まずよく見ようよ」
みんなで机の下や棚のすきまを探すと、筆箱は窓辺に置かれた本の陰から見つかりました。
先生はその様子を見て、何も大げさに褒めませんでした。ただ静かに、うれしそうにうなずきました。子どもたちが、自分で「いそがない知恵」を使えたことが分かったからです。
その日の帰り道、一人の子がつぶやきました。
「考える時間って、めんどうなだけだと思ってた。でも、間違える時間を減らしてくれるんだね」
先生は笑って答えました。
「その通り。急いだ答えは、早いかわりに浅いことがあります。でも、少し待って出した答えは、人を守る深さを持つことがあるのです」
次の週、先生は子どもたちに新しい約束を一つだけ作りました。だれかが困っている場面に出会ったときは、すぐに決めつけて声を上げる前に、みんなで三つ数えるのです。
「いち、に、さん」
その短い間に、机の下を見る子、まわりの顔を見る子、自分の言いかけた言葉を飲みこむ子が出てきました。教室は前より少し静かになり、その分、前よりよく見えるようになりました。
ある日、窓ガラスのそばで花瓶が倒れ、水が床に広がりました。前ならすぐ「だれがやったの」と声が飛んだでしょう。けれどその日は、一人の子が布を持ってきて、別の子が花を拾い、最後にようやく「どうして倒れたのかな」と話し合いました。窓から入った風で布が引っかかったことが分かると、みんなは誰も責めずに済みました。
先生は濡れた床を拭きながら言いました。
「急がない人は、のろい人ではありません。こわしてしまう前に、自分の言葉を持ち直せる人です」
子どもたちは、その言葉を聞いてうなずきました。少し待つだけで、守れるものがずいぶん増えると分かってきたからです。
立ち止まることは、のろいことではありません。大切なことの前で足を止められる人は、自分の心も、だれかの心も、前よりずっと大事に扱えるようになるのです。
1) 先生は、どうしてすぐに「だれが悪い」と決めなかったのかな?
2) あなたが急いで決めてしまって、あとで「ちがった」と思ったことはある?
3) 次に迷うことがあったら、どんなふうに「ひと呼吸」おいてみる?
この物語は、軽々しく判断しない知恵を伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
慎重な判断とことばの重みを教える、ユダヤの学びの伝統より



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