・ことばは、口から出る前に選ぶことができる
・一度広がったうわさを戻すのはむずかしい
・やさしい口を持つことは、大切な知恵のひとつ
むかしむかし、おしゃべり好きなミナという女の人がいました。ミナは悪い人ではありませんでしたが、聞いた話をすぐ誰かに話してしまうくせがありました。「ちょっとだけ」「本当かどうかは分からないけれど」と言いながら、つい話を広げてしまうのです。
ある日、ミナは市場で「新しく来た仕立て屋は、あまり腕がよくないらしい」と耳にしました。だれが言ったのかもはっきりしない話でしたが、ミナはその日のうちに三人へ話し、三人はまた別の人へ話しました。
数日後、仕立て屋の店はひどく静かでした。まだ来たばかりで仕事も少ないのに、うわさのせいで客が近づかなくなっていたのです。
そのことを知ったミナは、さすがに胸が痛みました。そこで町の先生のところへ行きました。
「先生、わたし、軽い気持ちで話してしまいました。どうすれば元どおりになりますか」
先生は少し考えてから、古い羽根まくらを一つ持ってきました。
「では、これを持って丘の上へ行き、切り開いて羽根をまきなさい」
ミナは不思議に思いながらも、その通りにしました。丘の上は風が強く、白い羽根はふわっと空へ舞い上がり、町じゅうへ散っていきました。
先生は言いました。
「さあ、全部集めて戻ってきなさい」
ミナは目を丸くしました。
「そんなの無理です。風でどこへ飛んだか分からないもの」
先生は静かにうなずきました。
「うわさも同じです。言ってしまうのは簡単ですが、集めて元に戻すのはとてもむずかしい」
ミナはうつむきました。自分が広げた言葉は、羽根のようにもう町じゅうに散ってしまっていたのです。
けれど先生は、責めるだけではありませんでした。
「それでも、今からできることはあります。まず、あなたが話した相手のところへ行きなさい。そして、『確かめていない話を広げてしまった。間違っていた』と、自分の口で言いなおすのです」
ミナは、恥ずかしくて足が重くなりました。でも、仕立て屋の静かな店を思い出し、ひとりずつ会いに行きました。
「ごめんなさい。わたしが軽い話を広げました」
「本当かどうか確かめていませんでした」
「あの仕立て屋さんに悪いことをしました」
言うたびに胸は苦しかったのですが、そのかわり、少しずつ心の中の重い石が小さくなっていきました。
数日後、ミナは思い切って仕立て屋の店へも行きました。事情を話して頭を下げると、仕立て屋はしばらく黙っていましたが、やがて言いました。
「言葉でできた傷は、すぐには消えません。でも、あなたが逃げずに来たことは分かりました」
ミナはそれから、自分の古い上着のほつれをその仕立て屋に頼みました。仕上がりはとても丁寧で、ミナは今度こそ本当に見たことを人に伝えました。
「あの人は、ていねいな仕事をするよ」
やがて店には、少しずつ客が戻ってきました。
その後、ミナは何か話したくなったとき、よく手を口に当てて少し考えるようになりました。
「これは、風に飛ばしていい言葉かな」
言葉は、言いなおせるうちならまだ間に合います。でも、勢いのまま飛ばしてしまうと、羽根のように広がってしまいます。だからこそ、口を開く前のひと呼吸が、とても大切なのです。やさしい口を持つ人は、自分もまわりも守ることができるのです。
それからというもの、ミナは市場で何か聞いても、すぐには話さなくなりました。「それ、本当に見たの?」「誰が言っていたの?」と一度たずねるようになったのです。以前なら面白そうな話ほど早く広げていましたが、今は「広げてもよい言葉かどうか」を考えるようになりました。
ある日、友だちがまた誰かのうわさを持ってきました。ミナは少し笑って言いました。
「その話、風に飛ばしてしまう前に、しまっておいたほうがよさそうね」
友だちは最初きょとんとしましたが、やがて一緒に笑いました。ミナが変わったことは、周りにも少しずつ伝わっていきました。
先生は後日、こう言いました。
「人の口は、羽根を飛ばす風にもなれるし、寒い日にあたたかい息をかける口にもなれます。どちらを選ぶかは、その人次第です」
ミナは、その言葉を宝物みたいに覚えていたそうです。
それからしばらくして、市場で新しい布屋が店を開きました。まわりの子たちは「あの店、高そうだよ」「きっと気むずかしい人だ」と、また確かめてもいない話を始めます。ミナは胸の中が少しざわつきましたが、今度はそのまま黙って店の前まで行きました。すると店の人は、破れた袋を見て「よかったらここを縫ってあげようか」とやさしく言ってくれたのです。
帰り道、ミナは友だちに話しました。
「見てもいないことを言うより、自分の目で見てから話したほうがいいよ」
その一言は、前のミナなら言えなかった言葉でした。言葉を止めるだけでなく、正しい言葉へ持ち直すことも覚えたからです。
家へ帰ると、お母さんがたずねました。
「最近、ずいぶん話し方がやわらかくなったね」
ミナは少し笑って答えました。
「前は、口から出たら終わりだと思ってた。でも、出す前なら選べるんだって分かったの」
お母さんは、その答えを聞いてうれしそうにうなずきました。
その晩、ミナは窓辺に置かれた羽根を一枚だけ見つめました。先生に拾い集めさせられた、あの羽根です。ミナはそっと指でつまみ、今度は風の入らない引き出しにしまいました。言葉も同じで、しまっておくほうがよいものがあるのだと、自分の手で覚えておきたかったのです。
次の日、仕立て屋の前を通ると、新しく直された服が窓に並んでいました。ミナは立ち止まってそれを見ながら、もう人の評判を軽く飛ばしたくないと思いました。見えないものは戻りにくいからこそ、最初に大切にしなければならないのだと分かったからです。
ミナはその窓を見ながら、きれいに縫い合わされた糸目をじっと見つめました。ほどけた布を直すには時間がいるように、ほどけた信頼を直すにも時間がいるのだろうと思いました。だからこそ、口から飛ばす前に止める知恵は、とても大切なのです。
1) どうして先生は、羽根をまいて集めさせたのかな?
2) うわさ話は、どうしてあとで止めるのがむずかしいんだろう?
3) 口を開く前に、どんなことを一度考えてみるとよさそう?
この物語は、うわさ話や悪口の重さを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
ことばの責任を教える、ユダヤの知恵の教えより



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