一歩さがって見えたもの 〜せまい橋と二頭のロバ〜

一歩さがって見えたもの 〜せまい橋と二頭のロバ〜 知恵と機転
一歩さがって見えたもの 〜せまい橋と二頭のロバ〜
【今日のお話のポイント】
・進みたいときほど、少し引くことが役に立つことがある
・勝とうとするより、通れる道を見つけるほうが賢い
・ゆずることは弱さではなく、前に進むための知恵になる

むかしむかし、川の上に一本の細い橋がかかっている町がありました。その橋は、片方からロバが一頭通るのがやっとという幅しかありません。村の人たちはいつも、向こうから来る相手をよく見て、譲り合いながら渡っていました。

ある日、橋の両側から二人の荷運び人がやってきました。一人は塩の袋を積んだロバを引く男、もう一人は布の束を積んだロバを引く女でした。

二人は橋の真ん中で向かい合ってしまいました。橋はせまく、横によけることはできません。

男は言いました。

「こっちは急いでいる。先に通してくれ」

女も言いました。

「私だって市場の時間に遅れそうなの。そちらこそ下がって」

ロバたちも不安そうに耳を動かしています。橋の上で言い争いが長くなるほど、荷も人も危なくなります。

そこへ、川辺で釣りをしていた老人が声をかけました。

「橋の上で前へ進めないなら、どちらかが一歩さがるしかないよ」

でも二人は納得しません。

「なぜわたしが」
「そっちが下がればいい」

老人は笑って言いました。

「では、前に進みたい気持ちだけで、橋が広くなるかね」

二人は黙りました。たしかに、言い合っていても橋は少しも広くなりません。

しばらくして、女の人がロバの頭をなでながら言いました。

「私が少し戻るわ。橋の入口に平らな場所があるから、そこで待てる」

男は意外そうに目を見開きました。

「でも、それじゃ君が遅れる」

女の人は肩をすくめました。

「ここでずっと動けないより、どちらかが動けるほうが早いでしょ」

そう言って女の人はロバを落ち着かせ、一歩ずつゆっくり橋を戻りました。男のロバが渡りきると、今度は男が橋の反対側で待ち、ロバが怖がらないよう声をかけながら見守りました。

無事に二頭とも橋を渡りきると、男は深く頭を下げました。

「ありがとう。さっきは、自分が勝つことばかり考えていた。君が下がってくれたから、二人とも先へ進めたんだ」

女の人は笑いました。

「本当は、勝ち負けじゃないのよね。通ることが大事だっただけ」

その言葉を聞いた老人は、釣り糸を巻きながら言いました。

「人生には、せまい橋みたいな場面がある。そこでは、『どちらがえらいか』を決めても意味がない。だれが少し動けば、みんなが通れるかを考えるほうが大事なんだ」

その日から町の人たちは、橋で困ったとき、「一歩さがれば何が見えるだろう」と言うようになったそうです。前に出る勇気と同じくらい、下がる知恵も大事だと分かったからでした。

ゆずることは、負けることのように感じるときがあります。でも、せまい橋では、少し引くことがみんなを前へ進める力になります。大切なのは、自分だけが先に進むことではなく、みんなが無事に通れる道を見つけることなのです。

橋を渡り終えたあと、男は女の人の荷を少しだけ市場まで運ぶのを手伝いました。さっきまで言い争っていたのが嘘のようでした。二人とも、相手を押しのけるより、少し助け合ったほうがずっと気持ちよく進めることを、橋の上で学んだのです。

その話は町にも広がりました。すると子どもたちは遊びの中でも、「ここはぼくが少し下がるよ」「じゃあ次はわたしが待つね」と言うようになりました。前より少しだけ、けんかが短くなったそうです。

老人はあとでこう言いました。
「前へ出る勇気は立派だ。だが、みんなが通れるように一歩さがる勇気は、もっと立派かもしれん」
橋の出来事は、二人だけでなく、町の人たちにそんなことまで教えてくれたのでした。

数日後、今度は村の子どもたちが同じ橋で止まってしまいました。魚のかごを持った子と、薪を運ぶ子が向かい合い、どちらも先へ行きたがったのです。すると近くにいたあの男が笑って声をかけました。
「橋は前と同じだぞ。広くはなっていない」
子どもたちは顔を見合わせ、それから魚のかごを持った子が一歩さがりました。すると薪の子も渡り終えたあとで「ありがとう」と言い、自分のかごを少し持ってあげました。

橋のたもとでその様子を見ていた女の人は、ロバの首をなでながら言いました。
「ほらね。少し下がると、前より遠くまで進めるでしょう」
子どもたちはうれしそうにうなずきました。ゆずることは、止まることではなく、みんなで動き出すための合図だと分かってきたからです。

それから橋の近くには、小さな板札が立てられました。
「急ぐときほど、よく見ること」
それは町の決まりというより、あの橋を渡った人たちみんなが覚えておきたい知恵の言葉になりました。

ある雨の日には、橋の板がいつもよりすべりやすくなっていました。あの男は向こう岸から来る人影を見つけると、自分から橋の手前で立ち止まりました。そして、相手が渡り終えるまでロバの手綱を短く持って待ちました。向こうから来た人は深くおじぎをし、すれちがいざまに「ありがとう」と言いました。男はその一言だけで、前よりずっと早く橋を渡れた気がしました。

女の人も市場でこの話をよくたずねられました。そのたびに笑って答えました。
「私は負けたんじゃないの。ただ橋の幅に合わせて、いちばんよい動きを選んだだけよ」
それを聞いた人たちは、なるほどとうなずきました。広くない場所では、広い気持ちのほうが役に立つのだと分かったからです。

いつのまにか町の子どもたちは、けんかになりそうになると「橋のこと、思い出して」と言い合うようになりました。橋の上で学んだ一歩は、ただの後ろ向きの一歩ではなく、みんなが通れる道を見つけるための知恵の一歩だったのです。

橋はそのまま細いままでしたが、渡る人たちの顔つきは前より少しやわらかくなりました。道の広さは変わらなくても、通り方が変わると、橋は前より安全な場所になるのだと、町の人たちは毎日そこを渡りながら覚えていったのです。

急ぐ気持ちを少ししまえる人が増えたぶん、橋の上で立ちすくむロバも減りました。町の人たちは、ゆずることが橋の幅を変えるのではなく、橋を渡る人の心を広くするのだと知ったのでした。

子どもへの問いかけ(いっしょに考えてみよう)
1) 女の人が少し戻ったことで、何がよくなったのかな?
2) ゆずることは、どうして「負け」とはちがうのだろう?
3) 学校や家で、少し引いたほうがうまくいく場面はありそう?
このお話について
この物語は、譲り合いと実際的な知恵を伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。

もとになった話
争わずに道を開く知恵を教える、ユダヤの学びの伝統より

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