もどしてこそ軽くなる 〜拾った銀の小さな輪〜

もどしてこそ軽くなる 〜拾った銀の小さな輪〜 知恵と機転
もどしてこそ軽くなる 〜拾った銀の小さな輪〜
【今日のお話のポイント】
・拾った物を返すことは、持ち主だけでなく自分の心も軽くする
・正直さは、見ている人がいないときにも自分をまっすぐにする
・物が戻るとき、人への信頼までいっしょに戻ることがある

むかしむかし、市場の横道でデボラは、小さくても光るものを拾いました。赤いひもだった日もあれば、銀の輪だった日もありましたが、どれも「そのまま持って帰れば自分のものになりそうだ」と思わせるものでした。

デボラは胸をどきどきさせながら言いました。
「だれのものか分からないなら、ぼくが持っていてもいいのかな」

ヒレルは首を振らず、まず手のひらの上の落とし物を見つめました。
「君の手にあるあいだ、それは軽いですか、重いですか」
デボラは少し考えて答えました。
「きれいだけど、ちょっと重いです」

ヒレルはうなずきました。
「持ち主の分からない物は、心の中で重くなりやすいのです。返す道を探しはじめると、その重さは軽くなります」

そこでデボラは、友だちのマラと一緒に市場を回り、「これをなくした人はいませんか」と声をかけました。最初は見つからず、何度も「ちがうよ」と言われましたが、やがて困った顔の女の人が近づいてきました。

その人は、結びひもがないと袋の口を閉じられず、朝から品物を運べずにいたのです。デボラが返すと、その人は深く息をついて言いました。
「助かりました。物が戻っただけじゃありません。人を信じる気持ちまで戻りました」

デボラはその言葉に、顔が少し熱くなりました。きれいな物を手に入れるより、心の重さが消えるほうがずっと気持ちがよかったからです。

ヒレルは最後に言いました。
「正直さは、だれかの物を返すだけでなく、自分の心をまっすぐに保つことでもあるのです」

その日の帰り道、デボラは何度も足をゆるめました。市場の横道で起こったことは、もう終わったはずなのに、胸の中ではまだ続いているようでした。だれかに一度教わっただけで、人の見え方や自分の手の動き方がこんなに変わるのだろうかと、不思議に思ったのです。

家へ向かう途中でも、朝には見過ごしていたものが目に入りました。道のすみに寄せられた桶、ほどけかけたひも、困り顔で立ち止まる小さな子、言いかけてやめた人の口もと。デボラは、それまでなら景色の一部として流していたものが、今日はみんな「どうしたらよいかな」と自分にたずねてくるように見えました。

その夜、友だちのマラといっしょにその話をすると、友だちのマラは「ぼくならすぐにはそんなふうにできないかも」と正直に言いました。デボラも、すぐに何でも上手にできるようになったわけではないと思いました。けれど、前より少しだけ立ち止まれること、前より少しだけ人の気持ちを考えられることが、たしかに自分の中へ入ってきているとも感じていました。

翌朝になると、学びの家や広場では、また別の小さな出来事が起こりました。だれかが急ぎ、だれかが迷い、だれかが少し失敗します。けれどデボラは、前の日のことを思い出しながら、今度は自分からひとつ先に動いてみました。大きなことではなくても、昨日教わった 人の物をごまかさず、心をまっすぐに保つこと という知恵を、その場で試してみたかったのです。

最初は、うまくいかないところもありました。言葉を選びすぎて黙りこんでしまったり、気をつかいすぎて一歩が遅れたりもしました。それでもヒレルは笑って言いました。
「まっすぐできる人も、最初からまっすぐだったわけではありません。よいことは、昨日より少しよくしようとするところから育ちます」

デボラはその言葉を聞いてほっとしました。知恵を学ぶというのは、一度で完璧な人になることではなく、次の場面で少しだけましな選び方ができるようになることなのだと分かったからです。そう思うと、失敗した日のことまで無駄ではなく見えてきました。

数日たつと、友だちのマラのほうからも変化が見えました。デボラが前にしたことばや行いを覚えていて、似た場面でまねしようとしたのです。大きな教えは立派な言葉だけで広がるのではなく、目の前で見た小さな手本からも広がっていくのだと、デボラはそのとき気づきました。

ヒレルは子どもたちを見渡して、あらためてこう話しました。
「知恵は、聞いて終わるものではありません。台所でも、道ばたでも、友だちとのあいだでも、何度も使ってはじめて自分のものになります。そして自分のものになった知恵は、こんどはとなりの人を助ける灯りになります」

デボラはその晩、眠る前にその日あったことを思い返しました。今日は少しできたこと、できなかったこと、次はもう少しよくしたいこと。そんなふうに一日を見直すと、教えは遠い話ではなく、明日の自分へ手渡す道具のように思えました。小さな道具でも、毎日使えば、心の中でたしかな形になっていくのです。

朝になるたびに、デボラは前より少しだけ早く気づこうとしました。だれかの顔つき、部屋の乱れ、言葉の強さ、待っている人の気持ち。気づけることが増えるほど、教えは増えるのではなく、暮らしの中へ静かにしみこんでいくのだと分かってきました。学んだことは本のページに残るだけでなく、その日のふるまいにも残るのです。

それからしばらくして、市場の横道では前より少しやわらかな場面が増えました。だれかが先に聞くようになり、先に分けるようになり、先に整えるようになり、先に謝るようにもなりました。ひとりの変化は小さくても、暮らしの中へ置かれると、まわりの空気まで少しずつ変えていくのでした。デボラはその様子を見て、善いことは目立たなくても、ちゃんと次の人へ渡っていくのだと感じました。

子どもへの問いかけ(いっしょに考えてみよう)
1) このお話の人は、どんなときに気持ちを変えられたのかな?
2) あなたなら、同じ場面でどんなことばや行動を選ぶかな?
3) 今日のくらしの中で、ひとつだけまねしてみたいことはあるかな?
このお話について
この物語は、拾い物をごまかさず持ち主へ返す誠実さを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。

もとになった話
失くし物を返す正直さの尊さを語る、ユダヤの知恵の教えより

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