ゆずることで見える道 〜細い路地の荷車〜

ゆずることで見える道 〜細い路地の荷車〜 知恵と機転
ゆずることで見える道 〜細い路地の荷車〜
【今日のお話のポイント】
・先に一歩ゆずることは、負けではなく、道をひらく知恵になる
・仲直りは、どちらかが完全に正しいから起こるのではなく、先に関係を大事にしたときに起こる
・広い心は、勝ち負けよりも、また話せることを選べる心でもある

むかしむかし、細い路地でアサと兄のマティアは、ほんの小さなことで気まずくなってしまいました。どちらも少しずつ悪かったのに、先に謝るのは負けることのように思えたのです。

先生は二人のあいだに立って言いました。
「細い道で荷車が向かいあったら、どちらかが少しよけなければ、どちらも進めません」

アサは言いました。
「でも、先によけたら損みたいです」
先生は首を横に振りました。
「進めるようにする人は、損ではなく道を開いているのです」

そのあとアサは勇気を出して言いました。
「さっきは言いすぎた。ごめん」
すると兄のマティアもすぐに言いました。
「ぼくも、先にぶつかった」

さっきまで固かった空気が、そこですっとほどけました。だれかひとりが少し下がったから、二人とも前へ進めたのです。

先生はやさしく言いました。
「心の広い人は、いつも勝とうとする人ではありません。関係が進めるように、先にひと歩きゆずれる人です」

アサはその日、先に謝ることは自分を小さくすることではなく、関係を広くすることなのだと学びました。勝ち負けより、また顔を上げて話せることのほうが大切な日もあるのです。

その日の帰り道、アサは何度も足をゆるめました。細い路地で起こったことは、もう終わったはずなのに、胸の中ではまだ続いているようでした。だれかに一度教わっただけで、人の見え方や自分の手の動き方がこんなに変わるのだろうかと、不思議に思ったのです。

家へ向かう途中でも、朝には見過ごしていたものが目に入りました。道のすみに寄せられた桶、ほどけかけたひも、困り顔で立ち止まる小さな子、言いかけてやめた人の口もと。アサは、それまでなら景色の一部として流していたものが、今日はみんな「どうしたらよいかな」と自分にたずねてくるように見えました。

その夜、兄のマティアといっしょにその話をすると、兄のマティアは「ぼくならすぐにはそんなふうにできないかも」と正直に言いました。アサも、すぐに何でも上手にできるようになったわけではないと思いました。けれど、前より少しだけ立ち止まれること、前より少しだけ人の気持ちを考えられることが、たしかに自分の中へ入ってきているとも感じていました。

翌朝になると、学びの家や広場では、また別の小さな出来事が起こりました。だれかが急ぎ、だれかが迷い、だれかが少し失敗します。けれどアサは、前の日のことを思い出しながら、今度は自分からひとつ先に動いてみました。大きなことではなくても、昨日教わった 勝ち負けより関係を大事にして、先に道をひらくこと という知恵を、その場で試してみたかったのです。

最初は、うまくいかないところもありました。言葉を選びすぎて黙りこんでしまったり、気をつかいすぎて一歩が遅れたりもしました。それでも先生は笑って言いました。
「まっすぐできる人も、最初からまっすぐだったわけではありません。よいことは、昨日より少しよくしようとするところから育ちます」

アサはその言葉を聞いてほっとしました。知恵を学ぶというのは、一度で完璧な人になることではなく、次の場面で少しだけましな選び方ができるようになることなのだと分かったからです。そう思うと、失敗した日のことまで無駄ではなく見えてきました。

数日たつと、兄のマティアのほうからも変化が見えました。アサが前にしたことばや行いを覚えていて、似た場面でまねしようとしたのです。大きな教えは立派な言葉だけで広がるのではなく、目の前で見た小さな手本からも広がっていくのだと、アサはそのとき気づきました。

先生は子どもたちを見渡して、あらためてこう話しました。
「知恵は、聞いて終わるものではありません。台所でも、道ばたでも、友だちとのあいだでも、何度も使ってはじめて自分のものになります。そして自分のものになった知恵は、こんどはとなりの人を助ける灯りになります」

アサはその晩、眠る前にその日あったことを思い返しました。今日は少しできたこと、できなかったこと、次はもう少しよくしたいこと。そんなふうに一日を見直すと、教えは遠い話ではなく、明日の自分へ手渡す道具のように思えました。小さな道具でも、毎日使えば、心の中でたしかな形になっていくのです。

朝になるたびに、アサは前より少しだけ早く気づこうとしました。だれかの顔つき、部屋の乱れ、言葉の強さ、待っている人の気持ち。気づけることが増えるほど、教えは増えるのではなく、暮らしの中へ静かにしみこんでいくのだと分かってきました。学んだことは本のページに残るだけでなく、その日のふるまいにも残るのです。

それからしばらくして、細い路地では前より少しやわらかな場面が増えました。だれかが先に聞くようになり、先に分けるようになり、先に整えるようになり、先に謝るようにもなりました。ひとりの変化は小さくても、暮らしの中へ置かれると、まわりの空気まで少しずつ変えていくのでした。アサはその様子を見て、善いことは目立たなくても、ちゃんと次の人へ渡っていくのだと感じました。

子どもへの問いかけ(いっしょに考えてみよう)
1) このお話の人は、どんなときに気持ちを変えられたのかな?
2) あなたなら、同じ場面でどんなことばや行動を選ぶかな?
3) 今日のくらしの中で、ひとつだけまねしてみたいことはあるかな?
このお話について
この物語は、先に謝ったり譲ったりして関係を立て直す知恵を伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。

もとになった話
争いを深くせず、和解への道を先に選ぶことを勧める、ユダヤの知恵の教えより

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