・少ししかなくても、分けようとする心は人をあたためる
・豊かさは、たくさん持つことだけでなく、どう使うかにもあらわれる
・親切は大きさより、必要なときに差し出すことが大切
むかしむかし、石の道が交わる小さな町に、よい香りで評判のパン屋がありました。朝になると、焼きたての丸パンや細長いパンが店先に並び、人々は仕事へ向かう前にそこへ立ち寄りました。
そのパン屋で手伝いをしていたのは、サラという女の子でした。サラは生地を丸めたり、粉をふいた棚を拭いたりする仕事をしていました。まだ子どもでしたが、店の朝の忙しさはもうよく知っていました。
ある寒い朝のことです。いつもならパンがたっぷり焼けている時間なのに、運んでくるはずの小麦粉が遅れていて、その日に焼けたのはほんのわずかでした。店主のおばさんは、並んだパンを数えてため息をつきました。
「今日は足りないねえ。みんなに行きわたらないかもしれない」
サラは棚の上に残っている、小さな焼きパンを見つけました。形はいびつですが、こんがりしていておいしそうです。あとで自分のおやつにしてもよいと言われていたので、心の中で少しうれしくなりました。
そこへ店の戸が開き、一人の旅人が入ってきました。旅人の外とうには霜がつき、顔は疲れています。
「パンは残っていますか」
おばさんは並んだ棚を見てから、申し訳なさそうに答えました。
「大きいのはもう予約分だけなんです。売れるのは、これで最後です」
残っていたのは、サラが自分のおやつにしようと思っていた、あの小さな焼きパンひとつだけでした。旅人はそれを見て、少し笑って言いました。
「それでも十分ありがたいです」
サラはその顔を見て、胸の中がざわざわしました。自分も朝から働いてお腹がすいています。けれど、旅人はもっと寒くて、もっと空腹そうに見えました。
おばさんがパンを包もうとしたとき、戸の外から今度は小さな男の子が入ってきました。手には銅貨を一枚だけ握っています。
「お母さんが、少しでもいいからパンを買ってきてって」
店の中はしんと静まりました。パンはひとつ、必要な人は二人です。サラは自分の手が、無意識に小さな焼きパンのほうへ動きそうになるのを止めました。
旅人は男の子を見て言いました。
「きみが先に買いなさい。私はあとでもいい」
けれど男の子は、旅人の顔を見て首を振りました。
「おじさんのほうが、もっとお腹すいてそうだもん」
それを聞いてサラは、はっとしました。二人とも、自分が先とは言わなかったのです。そこでサラは勇気を出して言いました。
「あの、この小さいパンを半分にしてはどうでしょう。旅人さんには、昨日のかたいパンをスープ用に少しおまけできます。男の子には、やわらかいほうを」
おばさんは目を丸くしましたが、すぐに笑いました。
「それはいい考えだね」
パンは半分に切られました。旅人には、あたためなおせば食べられる小さなパンの切れはしも添えられます。男の子は大事そうに包みを抱え、旅人は何度も礼を言いました。
サラは、自分のおやつがなくなったことに少しだけさみしさを感じました。けれどそれ以上に、店の中の空気があたたかくなった気がしました。パンが増えたわけではないのに、心の中では何かが増えていたのです。
その昼すぎ、小麦粉の袋がようやく届きました。おばさんは急いでパンを焼き始め、夕方には店いっぱいに香ばしい匂いが広がりました。仕事が終わるころ、おばさんは焼きたての小さなパンをひとつ、サラの手にのせました。
「今朝のあの一言で、店の朝がずいぶん違うものになったよ。これは、おやつの代わり」
サラはうれしくなって、そのパンを半分に割りました。そして店先を掃いていた年下の見習いの子に言いました。
「いっしょに食べよう」
見習いの子は目を輝かせました。
「どうして半分くれるの?」
サラは少し考えてから答えました。
「なんだか今日は、分けたほうがおいしい気がするから」
それからというもの、店では「最後のひとかけをどうする?」とよく言うようになりました。品物が足りない朝だけの言葉ではありません。手が足りないとき、席が足りないとき、時間が足りないときにも、その言葉が出るようになったのです。足りないものを数えるだけでなく、どう分け合えばみんなが少し助かるかを考える合図になっていました。
数日後、あの旅人がまた店を通りかかりました。今度は元気な顔で、町のはちみつを小さな瓶に入れて持ってきてくれました。
「この前のお礼です。あの半分のパンが、寒い朝にとてもありがたかった」
男の子の母さんからも、「あの日、家族でパンを分けて食べました」と伝言が届きました。
サラはその話を聞いて、最後のひとかけは「足りないしるし」ではなく、「心が見えるしるし」なのかもしれないと思いました。たくさんあるときに分けるのは、たしかにやさしいことです。でも、少ないときにどうするかには、その人の心がもっとよくあらわれるのです。
夜、店の戸を閉めながらおばさんは言いました。
「豊かさってね、棚にパンが何個あるかだけじゃないんだよ。最後のひとかけをどうするかにも、ちゃんと表れるんだ」
サラは深くうなずきました。その日、自分はパンを半分にしただけではなく、朝の冷たい空気を少しあたためたのだと、ようやく分かったからでした。
その後、店では品物が足りない朝ほど、みんなの声が少しやわらかくなりました。数を数えるだけでなく、「どうしたら分けられるかな」と考えるくせが残ったからです。足りないものを前にしても、心まで足りなくならないことが、この店の豊かさになっていきました。
サラは帰り道に母さんへ言いました。
「少ない日は、いやな日だと思ってた。でも、少ないからこそ見えることもあるんだね」
母さんは答えました。
「そうよ。たくさんある日は手の広さが見えるけれど、少ない日は心の広さが見えることがあるの」
サラは、その言葉を聞きながら、最後のひとかけは棚に残った最後のパンというだけでなく、その人の心が見える小さな窓なのかもしれないと思いました。
それから店では、品物が足りない朝ほど、みんなの声が少しやわらかくなりました。数を数えるだけでなく、「どうしたら分けられるかな」と考える習慣が生まれたからです。足りないものを前にしても、心まで足りなくならないことが、この店の豊かさになっていきました。
サラは帰り道に母さんへ言いました。
「少ない日は、いやな日だと思ってた。でも、少ないからこそ見えることもあるんだね」
母さんは答えました。
「そうよ。たくさんある日は手の広さが見えるけれど、少ない日は心の広さが見えることがあるの」
1) サラは、どうしてパンを分ける考えを思いついたのかな?
2) 少ないときに分けることには、どんな意味があると思う?
3) あなたなら「最後のひとかけ」をどう使いたい?
この物語は、少ない中でも分け合う心の豊かさを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
施しと分かち合いの心を教える、ユダヤの知恵の教えより



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