・みんなの物を大切にすることは、会ったことのない人への親切にもなる
・見えない相手のことを考えて動ける人は、心の輪が広い
・小さな手入れが、次に使う人の気持ちよさや安心を支える
むかしむかし、学びの家には、だれの物でもあり、みんなの物でもあるものがありました。橋の手すりや学びの家の羽ペンのように、使う人が多いものほど、だれかが少していねいにしてくれるかどうかで使いやすさが変わります。
ネヘムは最初、「べつに自分の物じゃないし」と思っていました。少しくらい乱れていても、そのままにして通り過ぎそうになったのです。
すると先生が声をかけました。
「自分の物だけを大切にする人は、小さな輪の中でしか親切にできません。みんなの物を大切にする人は、会ったことのない人にも親切にできます」
ネヘムはその言葉に立ち止まりました。自分のあとにここを使う人の顔は見えません。けれど、見えないからといって、いないわけではありません。
そこでネヘムは、ほこりを払い、倒れかけた道具を元に戻し、汚れをぬぐいました。ほんの少しの手間なのに、場所は見違えるほど気持ちよくなりました。
あとから来た友だちのレビは驚いて言いました。
「だれかがやってくれたんだね」
ネヘムは少し照れながら答えました。
「だれかじゃなくて、次の人のためにね」
先生はうれしそうにうなずきました。
「人のいないところでしている親切ほど、心のかたちがよく見えます」
ネヘムはその日から、見えない相手に向けた手入れも、立派な善い行いなのだと思うようになりました。
その日の帰り道、ネヘムは何度も足をゆるめました。学びの家で起こったことは、もう終わったはずなのに、胸の中ではまだ続いているようでした。だれかに一度教わっただけで、人の見え方や自分の手の動き方がこんなに変わるのだろうかと、不思議に思ったのです。
家へ向かう途中でも、朝には見過ごしていたものが目に入りました。道のすみに寄せられた桶、ほどけかけたひも、困り顔で立ち止まる小さな子、言いかけてやめた人の口もと。ネヘムは、それまでなら景色の一部として流していたものが、今日はみんな「どうしたらよいかな」と自分にたずねてくるように見えました。
その夜、友だちのレビといっしょにその話をすると、友だちのレビは「ぼくならすぐにはそんなふうにできないかも」と正直に言いました。ネヘムも、すぐに何でも上手にできるようになったわけではないと思いました。けれど、前より少しだけ立ち止まれること、前より少しだけ人の気持ちを考えられることが、たしかに自分の中へ入ってきているとも感じていました。
翌朝になると、学びの家や広場では、また別の小さな出来事が起こりました。だれかが急ぎ、だれかが迷い、だれかが少し失敗します。けれどネヘムは、前の日のことを思い出しながら、今度は自分からひとつ先に動いてみました。大きなことではなくても、昨日教わった みんなの物を大切にし、見えない相手にも親切にすること という知恵を、その場で試してみたかったのです。
最初は、うまくいかないところもありました。言葉を選びすぎて黙りこんでしまったり、気をつかいすぎて一歩が遅れたりもしました。それでも先生は笑って言いました。
「まっすぐできる人も、最初からまっすぐだったわけではありません。よいことは、昨日より少しよくしようとするところから育ちます」
ネヘムはその言葉を聞いてほっとしました。知恵を学ぶというのは、一度で完璧な人になることではなく、次の場面で少しだけましな選び方ができるようになることなのだと分かったからです。そう思うと、失敗した日のことまで無駄ではなく見えてきました。
数日たつと、友だちのレビのほうからも変化が見えました。ネヘムが前にしたことばや行いを覚えていて、似た場面でまねしようとしたのです。大きな教えは立派な言葉だけで広がるのではなく、目の前で見た小さな手本からも広がっていくのだと、ネヘムはそのとき気づきました。
先生は子どもたちを見渡して、あらためてこう話しました。
「知恵は、聞いて終わるものではありません。台所でも、道ばたでも、友だちとのあいだでも、何度も使ってはじめて自分のものになります。そして自分のものになった知恵は、こんどはとなりの人を助ける灯りになります」
ネヘムはその晩、眠る前にその日あったことを思い返しました。今日は少しできたこと、できなかったこと、次はもう少しよくしたいこと。そんなふうに一日を見直すと、教えは遠い話ではなく、明日の自分へ手渡す道具のように思えました。小さな道具でも、毎日使えば、心の中でたしかな形になっていくのです。
朝になるたびに、ネヘムは前より少しだけ早く気づこうとしました。だれかの顔つき、部屋の乱れ、言葉の強さ、待っている人の気持ち。気づけることが増えるほど、教えは増えるのではなく、暮らしの中へ静かにしみこんでいくのだと分かってきました。学んだことは本のページに残るだけでなく、その日のふるまいにも残るのです。
それからしばらくして、学びの家では前より少しやわらかな場面が増えました。だれかが先に聞くようになり、先に分けるようになり、先に整えるようになり、先に謝るようにもなりました。ひとりの変化は小さくても、暮らしの中へ置かれると、まわりの空気まで少しずつ変えていくのでした。ネヘムはその様子を見て、善いことは目立たなくても、ちゃんと次の人へ渡っていくのだと感じました。
1) このお話の人は、どんなときに気持ちを変えられたのかな?
2) あなたなら、同じ場面でどんなことばや行動を選ぶかな?
3) 今日のくらしの中で、ひとつだけまねしてみたいことはあるかな?
この物語は、公共の物や共同の道具をていねいに扱う誠実さを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
自分だけの物でないものにも責任を持つことを勧める、ユダヤの知恵の教えより



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