・本当の強さは、相手をねじふせる力ではない
・自分の心を落ち着かせることは、とても勇気のいること
・強い人とは、怒りや欲ばりな気持ちに負けない人である
むかしむかし、学ぶことの好きな若者たちが集まる町に、ベン・ゾマという賢い人がいました。ベン・ゾマは、むずかしいことをたった一言で分かりやすく言い表すのが得意でした。
ある日、町の広場で子どもたちが遊んでいると、そこへ腕自慢の若者がやってきました。若者は大きな石を持ち上げたり、重い荷車を押したりして、自分の力を見せびらかしていました。
若者は石を肩まで持ち上げるたびに、「どうだ!」と叫びました。見ていた子どもたちは目を丸くし、何人かはそのまねをして腕を曲げたり、胸を張ったりしました。力があることは、それだけでまぶしく見えたのです。
「見ろよ! こんなことができるのは町でぼくだけだ。いちばん強いのは、もちろんこのぼくだ!」
子どもたちは「すごい!」と声をあげました。けれども、その中の一人が首をかしげました。
「でも、本当に強いって、それだけなのかな」
そうつぶやいた子は、前の日に友だちとけんかをして、つい強いことばで言い返してしまったばかりでした。あとで自分も悲しくなったので、「強さ」が何なのか分からなくなっていたのです。
ちょうどそのとき、広場のそばをベン・ゾマが通りかかりました。子どもたちは走っていってたずねました。
「先生、いちばん強い人って、どんな人ですか?」
ベン・ゾマは若者を見て、そして子どもたちにたずね返しました。
「もし誰かに悪口を言われたら、どうする?」
子どもたちは口々に言いました。
「言い返す!」
「もっとひどいことを言う!」
「押し返すかも!」
腕自慢の若者も胸を張って言いました。
「ぼくなら相手を黙らせるね」
その言い方に、何人かの子どもは「それは強い」と思いましたが、別の子は少しこわくなって黙りました。相手を黙らせることと、相手より正しいことは、同じではないような気もしたからです。
ベン・ゾマはにっこりして、小さな水の入った鉢を持ってこさせました。そして水面を指さしました。
「怒った心は、この水に石を投げたときのようなものです。ほら、波が立って、何もきれいに映らなくなるでしょう」
そう言って小石を一つ落とすと、水面はゆらゆら揺れて、空も人の顔もぼやけて見えました。
「でも、少し待てばどうなるかな」
みんなで静かに見ていると、水面はしだいに落ち着き、また青空がはっきり映るようになりました。
「心も同じです。怒りにまかせてすぐ動く人は、強そうに見えても、自分の心に振り回されています。でも、ぐっとこらえて落ち着ける人は、自分の心を導いています」
ベン・ゾマはさらに、鉢の水を少し指でさわってみせました。ほんの少しの動きでも、水面はまた揺れます。
「怒りは、外から飛んでくる石だけでなく、自分の中からも起こります。だからこそ、自分の心を守るには、よく見て、よく待つことが必要なのです」
若者は少しむっとして言いました。
「でも、じっと我慢するなんて、弱いみたいじゃないですか」
ベン・ゾマは首を振りました。
「いいえ。自分の中からわきあがる怒りやくやしさは、とても力が強いのです。それに負けないのは、簡単なことではありません」
「でも先生」と一人の子が言いました。「いやなことを言われたら、むかっとするのは当たり前だよ」
「その通り」とベン・ゾマは答えました。「腹が立つこと自体が悪いのではありません。大切なのは、そのあと自分が何に従うかです。怒りに引っぱられるのか、それとも知恵に従うのか」
そのとき、広場のすみで小さなけんかが始まりました。木のこまを取った取られたで、二人の男の子が言い争っていたのです。ひとりは今にも泣きそうで、もうひとりは顔を真っ赤にしていました。
みんなが見ている中、一人の女の子が進み出て、そっとこまを二人の間に置きました。
「まず、だれの物か落ち着いて考えよう。今けんかしたら、もっと分からなくなるよ」
二人はしばらく黙り、それから深呼吸をしました。すると、一人が「あ、さっきぼくが貸したんだった」と思い出し、もう一人も「ごめん、ぼくのだと思いこんでた」と謝りました。
もしそのまま怒鳴り合っていたら、こまの持ち主が分からなくなるだけでなく、友だち同士の気持ちまでこわれていたかもしれません。けれど、ほんの少し落ち着いたことで、二人はちゃんと思い出し、ことばを選び直すことができました。
ベン・ゾマは子どもたちを見て言いました。
「ほらね。力で押さえつけなくても、心を落ち着ければ、問題はちゃんと見えてくる」
それからベン・ゾマは、広場のみんなに短い言葉を伝えました。
「本当に強い人とは、自分の心に打ち勝てる人です」
腕自慢の若者は、少し恥ずかしそうに頭をかきました。
「ぼくは大きな石は持ち上げられるけど、自分の怒りはまだうまく持ち上げられないみたいだ」
みんなはくすっと笑いました。でも、その日から若者は、腹が立ったときにはすぐ怒鳴る前に、一度だけ深呼吸をするようになったそうです。
最初は一度の深呼吸では足りない日もありました。二度、三度と息を吸い直すこともありました。それでも若者は、「さっきの話を思い出そう」と自分に言い聞かせました。すると少しずつ、前よりも人の話を最後まで聞けるようになり、広場の子どもたちも前ほど若者をこわがらなくなりました。
本当の強さは、だれかを負かすことではありません。自分の心をきちんと見つめ、あわてず正しい方を選べることこそ、深くて静かな強さなのです。
この物語は、ユダヤの学びの伝統に伝わる話を、子ども向けにやさしい日本語で再話したものです。
もとになった話
タルムードに伝わる知恵の物語より



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