小さなあいさつの大きな力 〜シャロームが広げる輪〜

小さなあいさつの大きな力 〜シャロームが広げる輪〜 知恵と機転
小さなあいさつの大きな力 〜シャロームが広げる輪〜
【今日のお話のポイント】
・あいさつは短くても、人の心をあたためる力がある
・こちらから先にやさしく声をかけることは、立派な親切である
・平和は大きな場所だけでなく、毎日のことばから始まる

むかしむかし、石畳の道がのびる町に、朝から晩までたくさんの人が行き交う市場通りがありました。そこでは、パン屋、布屋、水売り、学びの家へ向かう子どもたちまで、みんなそれぞれ忙しく歩いていました。

その町に、だれにでも先に「シャローム」と声をかけるおじいさんがいました。シャロームは「平和がありますように」というあいさつです。おじいさんは、知っている人にも、知らない人にも、にこにこしながら「シャローム」と言いました。

パン屋の主人には「今日もいい香りですね」と続け、重い桶を持つ水売りには「腰はだいじょうぶですか」と声をかけました。おじいさんのあいさつは、ただの短い音ではなく、相手をちゃんと見ていることが伝わるあいさつでした。

ある男の子が、それを見て不思議に思いました。

「どうして、知らない人にもそんなふうに声をかけるの?」

おじいさんは笑って言いました。

「だれだって、心の中に小さな疲れを持っていることがあるからだよ。あいさつは、その疲れを少し軽くすることがあるんだ」

男の子は半信半疑でした。たった一言で、そんなことが起こるとは思えなかったのです。

むしろ男の子は、あいさつなんて、だれでも言う決まり文句くらいに思っていました。言っても言わなくても、そんなに変わらないのではないか、と感じていたのです。

家でも男の子は、返事をしないわけではありませんでした。でも、自分から先に声をかけることはめったになく、必要なときだけ短く言うくらいでした。

ちょうどその日の昼ごろ、市場で小さないざこざが起きました。布屋の主人と果物売りが、店先にはみ出した品物のことで言い争いを始めたのです。

「そっちが広げすぎだ!」
「いや、お前こそ道をふさいでいる!」

通りかかった人たちは顔をしかめ、足早に通り過ぎました。空気はぴりぴりして、近くを歩くのも気まずいほどでした。

だれもが「巻きこまれたくない」と思い、目をそらしました。そんなときほど、道の空気はどんどん冷たくなっていきます。男の子も、いつもなら急いでその場を離れたでしょう。

そこへ、いつものおじいさんがやってきました。おじいさんは二人の前に立つと、いつものように言いました。

「シャローム。お二人とも、今日はたいへんそうですね」

二人は一瞬きょとんとしました。怒鳴り返されると思っていたのに、声はやわらかく、しかも責める言い方ではありません。

おじいさんは続けました。

「こんなに立派な品物を売るお二人が、朝からつかれている顔をしているのを見るのは、なんだかもったいないですね」

そのことばには、「やめなさい」という命令も、「どちらが悪い」という責めもありませんでした。ただ、二人をけんかしている相手ではなく、同じ町で働く大切な人として見ている響きがありました。

布屋の主人は、ふっと息をつきました。果物売りも、少し肩の力を抜きました。すると、さっきまで大声だったのがうそのように、話し合いができるようになったのです。品物を少しずつ下げれば、ちゃんと道が空くこともすぐ分かりました。

男の子は目を丸くしました。

「ほんとだ……。あいさつだけで、空気が変わった」

おじいさんは言いました。

「あいさつは、ただの決まり文句じゃない。『あなたをちゃんと人として見ていますよ』と伝える最初のことばなんだよ」

「そしてね」とおじいさんは続けました。「こちらから先に声をかけるのは、自分の心の扉を少し先に開くことなんだ。相手がどう返すか分からなくても、まず平和の方へ一歩出すのさ」

「でも、返してもらえなかったら?」と男の子はたずねました。

おじいさんは笑いました。

「それでも、自分の心はかたくならずにすむよ。先にやさしくした人は、自分の中に平和の種をまいたことになるからね」

その帰り道、男の子はいつも無口な水売りのおばさんに、勇気を出して先に言ってみました。

「シャローム!」

おばさんはびっくりしたあと、にっこり笑って返しました。

「シャローム。元気をもらったよ」

男の子の胸は、なんだかぽっとあたたかくなりました。

それから男の子は、学校へ行くとき、店の人に会ったとき、家に帰ったときも、こちらから先にやさしくあいさつするようになりました。すると不思議なことに、前よりも人と話しやすくなり、けんかも少し減ったそうです。

最初は、声が小さくなってしまう日もありました。返事が返ってこないこともありました。でも、それでも男の子は少しずつ続けました。すると、八百屋のおばさんが笑ってくれたり、むすっとしていた職人さんが小さくうなずいてくれたりしました。そのたびに男の子は、あいさつが見えない橋のように人と人をつないでいるのを感じました。

ある朝、前の日に少し気まずくなった友だちと道で会ったときも、男の子は勇気を出して先に「シャローム」と言いました。すると相手も少し照れながら「シャローム」と返しました。それだけで、前の日のとげとげした気持ちが少しほどけたのです。

平和は、遠いところでいきなり生まれるのではありません。今日すれ違う人へ向けた、小さな一言から始まることがあります。やさしいあいさつは、見えないけれどたしかに人の心をつなぐのです。

このお話について
この物語は、ユダヤの学びの伝統に伝わる話を、子ども向けにやさしい日本語で再話したものです。

もとになった話
タルムードに伝わる知恵の物語より

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