壊れた壺と賢者の外套

正義と親切
【今日のお話のポイント】
正しいルールだけで人を判断するのではなく、その人の状況を理解し、思いやりと親切な心で接することが、もっとも尊い正義である。

むかしむかし、太陽の光が石畳の道を金色に染める、古いエルサレムの町に、ダニエルという心優しい若者が住んでいました。

ダニエルの家は貧しく、毎日お父さんとお母さんを助けるために、何か仕事はないかと探していました。

ある晴れた日の午後、町の広場はたくさんの人々で賑わっていました。

果物やスパイスの甘い香りが風に乗り、商人たちの元気な声が響き渡ります。

ダニエルが広場を歩いていると、人々から尊敬を集めている賢者、ラビ・ヨシュアの姿を見つけました。

ラビ・ヨシュアは、穏やかな笑顔を浮かべ、誰にでも親切に声をかける、とても温かい人でした。

ちょうどその時、ラビ・ヨシュアは困った顔をしていました。

彼は市場で、特別な日に飲むための、とても高価で美味しいぶどう酒の入った大きな壺を買ったのです。

しかし、その壺はとても重く、一人で家まで運ぶのは大変そうでした。

「誰か、この壺を私の家まで運ぶのを手伝ってくれないだろうか。

もちろん、お礼ははずむよ。」

ラビ・ヨシュアがそう言うと、周りの人々は顔を見合わせました。

高価な壺を運ぶのは、責任が重い仕事です。

もし落として割ってしまったら、大変なことになります。

その時、ダニエルが勇気を出して一歩前に進み出ました。

「ラビ様、私にやらせてください。一生懸命、大切に運びます。」

ダニエルの真面目そうな瞳を見て、ラビ・ヨシュアはにっこりと微笑みました。

「おお、そうかい。君になら安心して任せられそうだ。

では、頼むよ。ゆっくり、気をつけて運んでおくれ。」

ダニエルはラビ・ヨシュアからお礼のお金も先に少しもらい、感謝の気持ちでいっぱいになりました。

彼は両腕に力を込め、ずっしりと重い壺をゆっくりと持ち上げました。

ぶどう酒が中で揺れるのを感じながら、一歩、また一歩と、慎重に歩き始めます。

ラビ・ヨシュアの家までの道は、古くでこぼこした石畳でした。

ダニエルは額に汗を浮かべ、足元に全神経を集中させて歩きました。

「絶対に割ってはだめだ。これはラビ様の大切な壺なんだ。」

心の中で何度もそう繰り返しました。

しかし、その時です。

つるり。

ダニエルの足が、少しだけ濡れていた石の上で滑ってしまいました。

「あっ!」

彼は必死にバランスを取ろうとしましたが、重い壺はゆっくりと彼の手から離れていきました。

ガッシャーン!

耳を塞ぎたくなるような大きな音が響き渡りました。

壺は石畳の上に叩きつけられ、無残にも粉々に砕け散ってしまったのです。

中から真っ赤なぶどう酒が流れ出し、甘酸っぱい香りが辺り一面に広がりました。

ダニエルの頭は真っ白になりました。

周りにいた人々が集まってきて、口々に言います。

「なんてことだ!高価なぶどう酒が台無しだ。」

「あの子は一体どうやって弁償するつもりなんだろう。」

人々の声が、鋭い矢のようにダニエルの心に突き刺さりました。

ダニエルはあまりのショックと申し訳なさで、その場にへたり込み、ただただ涙を流すことしかできませんでした。

そこへ、物音を聞きつけたラビ・ヨシュアがやって来ました。

彼は割れた壺と、泣いているダニエルを見て、すべてを察しました。

ダニエルはラビ・ヨシュアの顔を見ることができず、声を振り絞って言いました。

「ラビ様…本当に、本当に申し訳ありません…。私の不注意です。

どうか、罰してください。」

集まった人々も、「そうです、ラビ様。この子にはちゃんと償いをさせなければなりません。それが正義というものです」と言いました。

しかし、ラビ・ヨシュアは怒った顔をしませんでした。

彼は静かにダニエルのそばにしゃがみ込むと、その肩に優しく手を置きました。

「ダニエル、まずは顔を上げなさい。怪我はなかったかい?」

そのあまりにも優しい声に、ダニエルは驚いて顔を上げました。

ラビ・ヨシュアの瞳は、怒りではなく、深い慈愛に満ちていました。

「君は、わざと壺を壊したわけではないだろう。

一生懸命運んでくれていたことは、私にもわかっているよ。」

ラビ・ヨシュアはそう言うと、立ち上がって周りの人々に語りかけました。

「皆さん、確かに壺は壊れ、ぶどう酒は失われました。

ルールに従えば、彼が弁償するのが『正義』かもしれません。

しかし、本当に大切なことは何でしょうか。」

ラビ・ヨシュアはもう一度ダニエルの方を向きました。

ダニエルは失敗した恥ずかしさと、申し訳なさで、ぶるぶると震えていました。

その姿を見たラビ・ヨシュアは、驚くべきことをしました。

彼は自分が羽織っていた上質な外套をそっと脱ぐと、ダニエルの肩にかけてあげたのです。

「きっと、辛くて寒い思いをしているだろう。

さあ、これを着ていきなさい。」

ダニエルは信じられないという顔でラビ・ヨシュアを見つめました。

「それに、これは約束していた仕事のお礼だよ。」

ラビ・ヨシュアは、ダニエルの手に残りのお金を握らせました。

「え…?でも、私は失敗したのに…。」

「いいんだよ。君は私のために一生懸命働こうとしてくれた。

その気持ちだけで十分だ。さあ、これでお母さんに何か美味しいものでも買ってあげなさい。」

ダニエルの目からは、再び涙が溢れ出しました。

しかし、それはもう悲しみの涙ではありませんでした。

ラビ・ヨシュアの温かい親切と、すべてを許してくれる深い愛情に対する、感謝の涙だったのです。

その様子を見ていた周りの人々は、何も言えなくなりました。

ただルール通りの「正義」を振りかざすことよりも、相手の心を思いやり、温かい手を差し伸べる「親切」の方が、どれほど人の心を救い、尊いものであるかを、静かに学んだのでした。

この日以来、ダニエルはラビ・ヨシュアの親切を生涯忘れることなく、誰に対しても正直で、思いやりのある人間になろうと心に誓ったということです。

💭 いっしょに考えてみよう
もし君がラビ・ヨシュアだったら、壺を割ってしまったダニエルに何と言ってあげるかな? どうしてそうするのか、理由も教えてね。

コメント

タイトルとURLをコピーしました