・感謝は大きな贈りものより、気づいたときのひとことから始められる
・当たり前に見えるものにも、だれかの手間や親切が入っている
・しまっておいた「ありがとう」を言葉にすると、心も関係もあたたかくなる
むかしむかし、井戸のそばでは夕方になると、水をくむ人たちの足音が静かに重なっていました。アミルもその日、家で使う水差しを持って並んでいましたが、早く帰って遊びたい気持ちばかりが先に立っていました。
ちょうどそのとき、前にいた年上の人が少し水をこぼしてしまい、列が止まりました。アミルは思わず顔をしかめます。
「もう、早くしてくれたらいいのに」
ヒレルはその声を聞いて、アミルの手にある水差しをそっと見つめました。
「その水差しは、朝からそこにありましたか」
「ううん。母さんが洗って、持たせてくれました」
「では、君が当たり前だと思っているものの中にも、だれかの手が先に入っているのですね」
アミルは少し黙りました。たしかに朝の食卓も、干してあった服も、くみやすいように置かれた水差しも、自分ひとりでそこに現れたわけではありません。
ヒレルは続けました。
「感謝は、大きな言葉でなくてもよいのです。気づいたときに、ひとつ返せばいい。水差しひとつ分でも」
そのあと、さっき水をこぼした年上の人が困った顔で立っているのを見て、アミルは自分の布を差し出しました。
「これ、使ってください」
相手は驚いた顔をしてから、やさしく笑いました。
家へ帰ると、アミルは水差しを受け取りながら母に言いました。
「いつもありがとう」
母は少し目を丸くしましたが、すぐに笑って、妹のミナにも聞こえるように「そのひとことは、今日の水よりうれしいよ」と言いました。
アミルはその晩、感謝というのは何かをたくさん返すことではなく、気づいていたのにしまっておいた言葉を、ちゃんと表へ出すことなのかもしれないと思いました。しまったままの「ありがとう」は、心の中では光っていても、相手には届かないからです。
ヒレルは翌日、子どもたちに言いました。
「感謝できる人は、持っているものの数よりも、受け取っている恵みに目を向けられる人です」
その日の帰り道、アミルは何度も足をゆるめました。井戸のそばで起こったことは、もう終わったはずなのに、胸の中ではまだ続いているようでした。だれかに一度教わっただけで、人の見え方や自分の手の動き方がこんなに変わるのだろうかと、不思議に思ったのです。
家へ向かう途中でも、朝には見過ごしていたものが目に入りました。道のすみに寄せられた桶、ほどけかけたひも、困り顔で立ち止まる小さな子、言いかけてやめた人の口もと。アミルは、それまでなら景色の一部として流していたものが、今日はみんな「どうしたらよいかな」と自分にたずねてくるように見えました。
その夜、妹のミナといっしょにその話をすると、妹のミナは「ぼくならすぐにはそんなふうにできないかも」と正直に言いました。アミルも、すぐに何でも上手にできるようになったわけではないと思いました。けれど、前より少しだけ立ち止まれること、前より少しだけ人の気持ちを考えられることが、たしかに自分の中へ入ってきているとも感じていました。
翌朝になると、学びの家や広場では、また別の小さな出来事が起こりました。だれかが急ぎ、だれかが迷い、だれかが少し失敗します。けれどアミルは、前の日のことを思い出しながら、今度は自分からひとつ先に動いてみました。大きなことではなくても、昨日教わった 受け取っている恵みに気づき、感謝を外へ返していくこと という知恵を、その場で試してみたかったのです。
最初は、うまくいかないところもありました。言葉を選びすぎて黙りこんでしまったり、気をつかいすぎて一歩が遅れたりもしました。それでもヒレルは笑って言いました。
「まっすぐできる人も、最初からまっすぐだったわけではありません。よいことは、昨日より少しよくしようとするところから育ちます」
アミルはその言葉を聞いてほっとしました。知恵を学ぶというのは、一度で完璧な人になることではなく、次の場面で少しだけましな選び方ができるようになることなのだと分かったからです。そう思うと、失敗した日のことまで無駄ではなく見えてきました。
数日たつと、妹のミナのほうからも変化が見えました。アミルが前にしたことばや行いを覚えていて、似た場面でまねしようとしたのです。大きな教えは立派な言葉だけで広がるのではなく、目の前で見た小さな手本からも広がっていくのだと、アミルはそのとき気づきました。
ヒレルは子どもたちを見渡して、あらためてこう話しました。
「知恵は、聞いて終わるものではありません。台所でも、道ばたでも、友だちとのあいだでも、何度も使ってはじめて自分のものになります。そして自分のものになった知恵は、こんどはとなりの人を助ける灯りになります」
アミルはその晩、眠る前にその日あったことを思い返しました。今日は少しできたこと、できなかったこと、次はもう少しよくしたいこと。そんなふうに一日を見直すと、教えは遠い話ではなく、明日の自分へ手渡す道具のように思えました。小さな道具でも、毎日使えば、心の中でたしかな形になっていくのです。
朝になるたびに、アミルは前より少しだけ早く気づこうとしました。だれかの顔つき、部屋の乱れ、言葉の強さ、待っている人の気持ち。気づけることが増えるほど、教えは増えるのではなく、暮らしの中へ静かにしみこんでいくのだと分かってきました。学んだことは本のページに残るだけでなく、その日のふるまいにも残るのです。
それからしばらくして、井戸のそばでは前より少しやわらかな場面が増えました。だれかが先に聞くようになり、先に分けるようになり、先に整えるようになり、先に謝るようにもなりました。ひとりの変化は小さくても、暮らしの中へ置かれると、まわりの空気まで少しずつ変えていくのでした。アミルはその様子を見て、善いことは目立たなくても、ちゃんと次の人へ渡っていくのだと感じました。
1) このお話の人は、どんなときに気持ちを変えられたのかな?
2) あなたなら、同じ場面でどんなことばや行動を選ぶかな?
3) 今日のくらしの中で、ひとつだけまねしてみたいことはあるかな?
この物語は、受けた恵みに気づいて感謝を返すことの大切さを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。
もとになった話
感謝と善い行いのつながりを教える、ユダヤの知恵の教えより



コメント