正しいはかりは、心を守る 〜まちの八百屋と小さな分銅〜

正しいはかりは、心を守る 〜まちの八百屋と小さな分銅〜 正義と親切
【今日のお話のポイント】
ちょっとのごまかしでも、だれかを困らせてしまう。
正しい重さ・正しいはかりは、相手のためだけじゃなく、自分の心をまっすぐにしてくれる。

※このお話は、タルムードで度量衡(はかり)をごまかすことを強く戒める考え方(Bava Batra 88b–89a 付近で語られる話題として知られます)を、子ども向けにやさしく物語にしたものです。

町の市場(いちば)は、朝になるととてもにぎやかでした。
魚の屋台からは潮の香り、パン屋からは甘い香り。
野菜や果物の山が色とりどりに並び、人の声が弾みます。

その市場の入口近くに、小さな八百屋(やおや)がありました。
店の名前は「みどりのかご」。
店主のカズさんは、元気でよく笑い、子どもにも気さくに話しかけてくれます。

カズさんの息子のユウタは、学校が終わると店を手伝っていました。
トマトを並べ、にんじんを袋に入れ、レタスの水気をふいて整える。
市場の仕事は、見ているよりずっと細かい作業がたくさんあります。

ある日、ユウタは店の奥で、古い木箱を見つけました。
中には、小さな金属のかたまりがいくつも入っています。

「これなに?」
ユウタが聞くと、カズさんは笑いました。

「分銅(ふんどう)だよ。はかりの重さを合わせるためのもの」
「ほら、これを使って“正しい重さ”を守るんだ」

ユウタは分銅を手に取ってみました。
意外とずっしりしていて、ひんやり冷たい。

「でもさ、父さん。ちょっとくらい軽くても、分からないんじゃない?」
ユウタは悪気なく言いました。
「たとえば、にんじん1キロって言って、ほんのちょっと少なかったとしても…」

カズさんの笑顔が、ふっと消えました。
怒ったわけじゃない。
でも、目がまっすぐになりました。

「ユウタ。じゃあ、逆に聞く」
「もし君が“ちょっと少ない”お菓子を毎回買わされたら、どう思う?」

ユウタは口をつぐみました。
…いやだ。
でも、少しなら我慢してしまうかもしれない。
その“少し”が毎回だったら?

カズさんは続けました。
「市場ってな、毎日の積み重ねなんだ」
「“少し”のごまかしは、毎日だと大きくなる」
「それに、一番こわいのは――自分の心が慣れてしまうことだ」

「慣れる?」

「最初はドキドキする。『悪いことしてる』って分かるから」
「でも、続けると、だんだん平気になる」
「平気になると、もっとやってしまう」
「それで、最後に“自分でも止められなくなる”」

ユウタは、分銅を握りしめました。
(ごまかしって、そんなにこわいんだ…)


その週末、市場に“検(けん)”の人が来るという噂が流れました。
はかりが正しいか、分銅が正しいかを確かめる人たちです。

「検の人が来るって!」
「うちのはかり、大丈夫かな」
あちこちの屋台で、そんな声がしました。

ユウタは、店のはかりを見ました。
カズさんのはかりは、古いけれど大事に磨かれていて、目盛りも読みやすい。
カズさんは、その朝いつもより丁寧に分銅を並べ、はかりを確認しました。

「よし。ぴったりだ」

それを見て、ユウタは少し安心しました。

ところが――隣の店のミチルさんが、こそこそと箱を抱えてやって来ました。
ミチルさんは、果物を売るお店の人です。
最近、客が減っていて、いつも眉間にしわが寄っています。

「カズさん、ちょっと…」
ミチルさんは小声で言いました。
「分銅、余ってない?」
「うちのが…少しズレてるみたいで」

カズさんは顔を上げました。
「ズレてるなら、直せばいい」
「検の人が来る前にね」

ミチルさんは、視線をそらして言いました。
「直すのにお金がかかるし…」
「それに、今さら直したら、いつもより少なくなる」
「売上が落ちる…」

ユウタは、胸がざわざわしました。
(いつもより少ないって…今まで多めに取ってたってこと?)

ミチルさんは続けました。
「だからさ、分銅をちょっと軽いのに変えて…」
「ごまかすわけじゃないよ。調整、調整」

その言葉を聞いて、カズさんははっきり言いました。
「それはごまかしだよ」
「調整って言葉で包んでも、やってることは同じだ」

ミチルさんの顔が赤くなりました。
「でも、みんなやってるよ!」
「少しくらい!」

カズさんは、静かに首を振りました。
「みんな、は違う」
「少しでも、人の生活に触れるところは正しくしないといけない」
「果物だって、にんじんだって、買う人にとっては“家族のごはん”なんだ」

ユウタはハッとしました。
野菜は、ただの商品じゃない。
だれかの夕ご飯で、だれかの体を作るものだ。

ミチルさんは黙って去りました。
背中が少し小さく見えました。


その日の午後、検の人が市場に来ました。
黒い鞄を持ち、落ち着いた表情で屋台を回ります。
店主たちは、順番に検査を受けました。

「みどりのかご、お願いします」
検の人が言って、カズさんのはかりを見ました。

カズさんは、分銅を正しく置き、野菜を乗せ、目盛りを見せました。
検の人はうなずきました。
「正しいですね。よく手入れされています」

その言葉を聞いた瞬間、ユウタの胸がふわっと軽くなりました。
(父さん、すごい…)

検の人が去ったあと、いつものお客さんがやって来ました。
小さな子を連れたお母さんです。

「今日はにんじん1キロお願いします」
カズさんが量ると、ぴったり1キロ。
そしてカズさんは、にんじんを1本だけ、そっと袋に足しました。

「今日はこれ、おまけ」
「えっ、いいんですか?」
「うん。いつもありがとう」

お母さんは笑いました。
「ここは安心して買えるから、つい来ちゃうんです」
「子どもにも食べさせるから…」

ユウタは、その言葉が胸に刺さりました。
(安心して買える…)
それは、お金じゃ買えない価値だ。


夜、片づけが終わったあと。
ユウタはカズさんに言いました。

「父さん、分かったよ」
「正しいはかりって、客のためだけじゃない」
「父さん自身が、ズレないためなんだね」

カズさんは、にこっと笑いました。
「そうだ」
「正しさって、特別なことじゃない」
「毎日の小さな“ぴったり”を守ることだ」

ユウタは、分銅を箱にしまいながら思いました。
(ぼくも、ぴったりを守れる人になりたい)

そのとき、工房の外から小さな足音がして、誰かが立ち止まりました。
戸の向こうで、ためらう気配。

カズさんが戸を開けると、そこにいたのはミチルさんでした。
手には、古いはかり。

「…カズさん」
ミチルさんは小さな声で言いました。
「直し方、教えてくれないか」
「今日、検の人に見られて…怖くなった」
「このままじゃ、だめだと思った」

カズさんは、しばらくミチルさんを見てから、ゆっくりうなずきました。
「いいよ」
「正しく直せば、またやり直せる」

ミチルさんの目に、涙が少し浮かびました。
「…ありがとう」

その瞬間、ユウタは思いました。
正しさは、人を責めるためじゃない。
人を“戻す”ためにもあるんだ。

💭 いっしょに考えてみよう
1) 「少しだけのごまかし」が、どうして大きな問題になると思う?
2) 正しいはかりを使うと、買う人はどんな気持ちになる?
3) あなたが「安心できる人・お店」だと思うのは、どんなとき?

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