紙に書いていなくても、「言ったこと」は相手の心に残る。
約束を守る人は、ゆっくりでも信用がたまっていく。
信用は、お金より長くあなたを助けてくれる。
※このお話は、タルムードで「約束・取引の誠実さ」を重く見る考え方(口約束でも誠実さが問われる、という教えとして語られる内容)を、子ども向けにやさしく物語にしたものです。
町の中心に、大きな市場がありました。
朝になると、布屋さん、果物屋さん、香辛料のお店…たくさんの屋台が並び、笑い声と呼び込みの声でいっぱいになります。
その市場に、「赤いテントの店」と呼ばれる布屋がありました。
店主はミナトさん。派手に売りこむことはしませんが、品物はいつもきれいで、値段もまっすぐ。
だから「安心して買える店」として知られていました。
ミナトさんの息子、ユウタは学校の帰りに店を手伝います。
布をたたんだり、糸の色をそろえたり。
ユウタは、父さんの仕事が好きでした。
ある日、まだ日が高い時間に、ひとりの女性が店へ来ました。
帽子のつばが広く、少し急いでいる様子です。
「すみません。明日、家族のお祝いがあって…」
「この青い布で、テーブルクロスを作りたいんです」
女性は、棚から青い布を指さしました。
深い海みたいな青で、光が当たると少しだけ銀色に見える、きれいな布です。
ミナトさんは布を広げて、目で確かめました。
「いい布ですね。明日までに必要ですか?」
「はい。できれば今日、少しだけ切って持ち帰って、続きを明日の朝に取りに来たいんです」
ミナトさんは考えて、うなずきました。
「分かりました。では、明日の朝までに必要な分をそろえておきます」
「値段は、今日見たままの値段で」
女性はほっとして笑いました。
「助かります。じゃあ、明日の朝、必ず来ます」
そう言って女性は、少しだけ布を買って帰っていきました。
ユウタは、店の外に出ていく背中を見ながら、ふと思いました。
(紙に書いてないけど…これって約束だよね?)
ところが、その日の夕方。
市場がいちばん混む時間に、別のお客さんが来ました。
立派な服を着て、目つきが鋭い男性です。
「その青い布、全部見せてくれ」
男性は言いました。
「うちの店でも同じ色が必要になった。今日中に買いたい」
そして、ぼそっと付け加えました。
「値段は…今の表示より高くてもいい」
ユウタは、ドキッとしました。
(え? 高くてもいいって…)
ミナトさんは静かに答えました。
「申し訳ない。これは明日の朝、先に約束した人がいる」
「全部は売れません」
男性は眉をひそめました。
「約束? どこに書いてある」
「書いてないなら、売っても問題ないだろう」
市場の空気が少し重くなりました。
周りの店の人が、ちらちらこちらを見ています。
ユウタは、父さんの顔を見ました。
父さんは怒っていない。
でも、目がまっすぐでした。
「書いてなくても、言った」
ミナトさんは短く言いました。
「私は、明日の朝までに布をそろえると伝えた」
「相手はそれを信じて帰った」
男性は、ため息をつきました。
「そんなの、もったいない」
「商売は勝ち負けだ。今売れば、もっと儲かるのに」
ミナトさんは、ゆっくり首を振りました。
「儲けより先に守るものがある」
「信用だ」
男性は鼻で笑って去っていきました。
「バカだな」
ユウタは、胸がざわざわしました。
(父さん、損したんじゃ…)
夜、店を閉めたあと。
ユウタは、我慢できずに聞きました。
「父さん…さっきの人に売ったほうが、もっとお金になったよね」
「どうして売らなかったの?」
ミナトさんは、布を丁寧にたたみながら言いました。
「ユウタ。今日の“高い値段”は、明日の“安い噂”に変わることがある」
「安い噂?」
ミナトさんは、棚の一番上から古い木箱を取り出しました。
中には、色々な糸と、少しのメモが入っています。
「これ、何だと思う?」
「糸…と、紙?」
「お客さんの“ありがとう”を書いたメモだ」
「この店は、こうやって続いてきた」
「派手じゃないけど、約束を守る。困ってる人をだまさない」
ユウタは、箱の中の紙を見ました。
「いつも同じ値段で助かりました」
「急ぎでも丁寧で安心でした」
「ここなら信じられます」
ユウタは、胸が少し温かくなりました。
ミナトさんは言いました。
「約束は、紙より先に“心”に書かれる」
「だから、紙がなくても守る」
「守れば、次も来てくれる」
ユウタはまだ不安でした。
「でも…明日の朝、あの女性が来なかったら?」
「約束だけして、来ないかもしれない」
ミナトさんは、そこで初めて少し笑いました。
「その可能性もある。世の中は完璧じゃない」
「でもね、約束を守るのは“相手のため”だけじゃない」
「自分の心のためでもある」
「自分の心?」
「自分が『守る』と決めたことを守れる人は、強い」
「周りがどう言おうと、ブレない」
「その強さが、長い商売を支える」
次の日の朝。
市場が開く前、ユウタは店の前でそわそわしていました。
(来るかな…来ないかな…)
すると、遠くから急ぎ足の音。
あの女性が、息を切らして走ってきました。
「昨日はありがとうございました! ほんとに助かりました!」
女性は頭を下げました。
「お祝いの準備、うまくいきそうです」
ミナトさんは、すでに用意してあった布を取り出し、丁寧に包んで渡しました。
値段は昨日のまま。
女性は、安心した顔でお金を払いました。
そのとき、女性は小声で言いました。
「実は昨日、別の店で同じ布を見たんです」
「でも…“今日の値段”が急に変わりそうな雰囲気で」
「ここは約束してくれたから、安心して戻ってこれました」
女性が去ったあと。
ユウタは、父さんを見上げました。
「父さん…“守る”って、こういうことなんだね」
ミナトさんは、うなずきました。
「そう。約束を守ると、お金以上のものが残る」
「何が残るの?」
「信用だ」
「信用がある店は、困ったときに助けてもらえる」
「そして、また立ち上がれる」
ユウタは、昨日の男性の言葉を思い出しました。
“バカだな”
でも今なら、言える気がしました。
(バカじゃない。父さんは、未来に売ったんだ)
1) ミナトさんは、どうして高い値段のほうに売らなかったのかな?
2) 「約束を守る」と、どんな良いことが“あとから”返ってくると思う?
3) あなたが最近「守ってよかった」と思った約束はある?



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