だれかの恥を守る布 〜洗い場のかご〜

だれかの恥を守る布 〜洗い場のかご〜 知恵と機転
だれかの恥を守る布 〜洗い場のかご〜
【今日のお話のポイント】
・人を助けるとは、失敗そのものだけでなく、その人の恥ずかしさにも心を配ること
・困っている人を見たとき、見物するより先に余白を守ることができる
・だれかの尊厳を守る行いは、見えにくくても深い親切になる

むかしむかし、共同の洗い場でだれかが失敗すると、まわりがつい見てしまうことがありました。転んだ荷車、落としたかご、ぬれた服。ミリアムも、その場に立ち会いました。

最初は、何が起きたのか見ようとしました。けれどヒレルは、その人の前へ一枚の布をさっと広げたり、人垣を少し下げたりして言いました。
「困っている人に必要なのは、好奇心の目より、立ち直るための余白です」

ミリアムははっとしました。見ているだけでも、その人の恥ずかしさを大きくしてしまうことがあるのです。

そこでミリアムは、笑いそうになった口を閉じ、散らばったものを拾う手を先に出しました。いとこのナオミもいっしょに手伝い、まわりの子に「少し下がって」と声をかけました。

失敗した人は、しばらくしてから小さく「ありがとう」と言いました。責められず、見世物にもされずにすんだことで、顔を上げる力が戻ってきたのです。

ヒレルはあとでミリアムに言いました。
「人を助けるとは、物を拾うことだけではありません。その人の大切な気持ちを、これ以上傷つけないことでもあります」

ミリアムはその日、だれかの失敗を見たときに一番先に守るべきなのは、その人の持ち物より、顔を上げられる気持ちなのかもしれないと思いました。

その日の帰り道、ミリアムは何度も足をゆるめました。共同の洗い場で起こったことは、もう終わったはずなのに、胸の中ではまだ続いているようでした。だれかに一度教わっただけで、人の見え方や自分の手の動き方がこんなに変わるのだろうかと、不思議に思ったのです。

家へ向かう途中でも、朝には見過ごしていたものが目に入りました。道のすみに寄せられた桶、ほどけかけたひも、困り顔で立ち止まる小さな子、言いかけてやめた人の口もと。ミリアムは、それまでなら景色の一部として流していたものが、今日はみんな「どうしたらよいかな」と自分にたずねてくるように見えました。

その夜、いとこのナオミといっしょにその話をすると、いとこのナオミは「ぼくならすぐにはそんなふうにできないかも」と正直に言いました。ミリアムも、すぐに何でも上手にできるようになったわけではないと思いました。けれど、前より少しだけ立ち止まれること、前より少しだけ人の気持ちを考えられることが、たしかに自分の中へ入ってきているとも感じていました。

翌朝になると、学びの家や広場では、また別の小さな出来事が起こりました。だれかが急ぎ、だれかが迷い、だれかが少し失敗します。けれどミリアムは、前の日のことを思い出しながら、今度は自分からひとつ先に動いてみました。大きなことではなくても、昨日教わった 困っている人の恥や痛みを増やさず、顔を立てること という知恵を、その場で試してみたかったのです。

最初は、うまくいかないところもありました。言葉を選びすぎて黙りこんでしまったり、気をつかいすぎて一歩が遅れたりもしました。それでもヒレルは笑って言いました。
「まっすぐできる人も、最初からまっすぐだったわけではありません。よいことは、昨日より少しよくしようとするところから育ちます」

ミリアムはその言葉を聞いてほっとしました。知恵を学ぶというのは、一度で完璧な人になることではなく、次の場面で少しだけましな選び方ができるようになることなのだと分かったからです。そう思うと、失敗した日のことまで無駄ではなく見えてきました。

数日たつと、いとこのナオミのほうからも変化が見えました。ミリアムが前にしたことばや行いを覚えていて、似た場面でまねしようとしたのです。大きな教えは立派な言葉だけで広がるのではなく、目の前で見た小さな手本からも広がっていくのだと、ミリアムはそのとき気づきました。

ヒレルは子どもたちを見渡して、あらためてこう話しました。
「知恵は、聞いて終わるものではありません。台所でも、道ばたでも、友だちとのあいだでも、何度も使ってはじめて自分のものになります。そして自分のものになった知恵は、こんどはとなりの人を助ける灯りになります」

ミリアムはその晩、眠る前にその日あったことを思い返しました。今日は少しできたこと、できなかったこと、次はもう少しよくしたいこと。そんなふうに一日を見直すと、教えは遠い話ではなく、明日の自分へ手渡す道具のように思えました。小さな道具でも、毎日使えば、心の中でたしかな形になっていくのです。

朝になるたびに、ミリアムは前より少しだけ早く気づこうとしました。だれかの顔つき、部屋の乱れ、言葉の強さ、待っている人の気持ち。気づけることが増えるほど、教えは増えるのではなく、暮らしの中へ静かにしみこんでいくのだと分かってきました。学んだことは本のページに残るだけでなく、その日のふるまいにも残るのです。

それからしばらくして、共同の洗い場では前より少しやわらかな場面が増えました。だれかが先に聞くようになり、先に分けるようになり、先に整えるようになり、先に謝るようにもなりました。ひとりの変化は小さくても、暮らしの中へ置かれると、まわりの空気まで少しずつ変えていくのでした。ミリアムはその様子を見て、善いことは目立たなくても、ちゃんと次の人へ渡っていくのだと感じました。

子どもへの問いかけ(いっしょに考えてみよう)
1) このお話の人は、どんなときに気持ちを変えられたのかな?
2) あなたなら、同じ場面でどんなことばや行動を選ぶかな?
3) 今日のくらしの中で、ひとつだけまねしてみたいことはあるかな?
このお話について
この物語は、人の失敗をさらさず、その人の顔を立てる思いやりを伝えるユダヤの教えをもとに、子ども向けに再話したものです。

もとになった話
人を恥じ入らせない配慮を重んじる、ユダヤの知恵の教えより

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